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坂本龍馬の誕生・出身地


大政奉還の1か月後、京都近江屋の母屋2階で暗殺されてしまった坂本龍馬。惜しくも暗殺された日は龍馬の誕生日でした。(※旧暦・新暦で差が出ます)

龍馬は亀山社中を結成、薩摩藩名義で武器を購入して長州藩へ運搬。さらに薩摩藩で不足していた米を長州で調達して運搬する等の働きが仲の悪かった薩摩と長州に同盟を結ばせるきっかけになりました。

先ほどから京都だ、薩摩だ、長州だと言っていますが、坂本龍馬の出身は土佐藩、現在の高知県になります。

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土佐藩出身の龍馬

詳細な住所だと高知県高知市上町1-7が坂本龍馬誕生の地になります。

最寄りの駅は「とさでん伊野線上町一丁目駅」の道沿いにある上町病院の敷地内とされ、上町病院の中村街道側に坂本龍馬誕生地の記念碑が建っています。

ちなみに当時の住所は、土佐国土佐郡上街本町一丁目とされ、土佐藩の郷士であった坂本八平と幸の間に次男として生まれ、兄弟は兄一人と姉三人になります。

坂本家は質屋や呉服商などを営む才谷屋という豪商の分家にあたる家で、第6代直益の時に長男・直海が郷士使用人に召し出されて坂本家を興しました。

この頃の土佐藩では、武士に上士・下士という階級があり、元々武家ではなかった坂本家は下士ではあったものの、分家した際に本家である才谷屋から多額の財産分与があったことから大変裕福な家庭でした。

龍馬が10歳の頃に母・幸が死去。その後は後妻である伊予に養育されますが、龍馬の手紙として残っているものの中に伊予のことが記されているものはありません。

姉・乙女と過ごした龍馬

龍馬自身は母亡き後、姉の乙女に世話になったという龍馬。土佐藩を脱藩してからも乙女宛に数多くの手紙を出しています。

龍馬の生まれた家は裕福だったと書きましたが、規模でいうと現在病院となっている場所とその裏手、さらに市電のレールがある付近までが敷地だったそうです。

航空写真で見るとよくわかりますが、この広さが個人の邸宅だったのですから、下級武士の家とはいえ、流石豪商・才谷屋の分家です。

ここで幼少期を過ごした龍馬は、乙女さんと共に伊予さんの実家・川島家に遊びに行っては世界地図などを良く眺めていたようで、龍馬の人格に大きな影響を与えたと言われています。

川島家では物珍しい土産話を聞いたり、海外からの輸入品などを目にしていたようです。

土佐藩の邸宅で育った少年は、やがて時代の波の中にさらわれ、表へ裏への活躍をするわけですが、それはまた別のお話です。

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