龍馬暗殺から時間を少し戻した寺田屋遭難事件の後、坂本龍馬は西郷隆盛の指示で京都の薩摩藩邸に保護されていました。
龍馬は護衛役の長府藩士・三吉慎蔵と寺田屋で薩長同盟成立の祝杯を挙げていました。
日付も変わった午前2時頃、龍馬の恋人であった楢崎龍は寺田屋の一階で入浴していると窓の外に異変に気付きます。
お龍は急いで龍馬のいる二階へ駆け上がると二人に異変を知らせます。
しかし、知らせを受けてすぐに押し入られ、龍馬は高杉晋作からもらった短銃で三好は長槍で応戦しましたが、相手は人数が多く手に傷を負った龍馬は三好と共に池田屋から脱出します。
負傷して出血していた龍馬は材木場に隠れ、三好は伏見の薩摩藩邸に助けを求めました。
日本人初の新婚旅行
寺田屋の事件後、西郷隆盛の指示で薩摩藩邸に保護されていた龍馬でしたが、西郷隆盛のすすめで薩摩の霧島温泉に傷の治療のための療養に行くことを決めます。
鹿児島へ向かう薩摩藩船の三邦丸には、西郷隆盛と坂本龍馬、楢崎龍の他に小松帯刀や桂久武、吉井友実が乗船し、3月10或は11日に到着すると龍馬の療養をしながら霧島山などを巡りました。
これが日本初の新婚旅行だと言われており、旅行の様子は1866年12月に姉・乙女に宛てられた手紙の中にも記されています。
この手紙の中で龍馬は、お龍のことを妻であると報告しており、蒸気船で薩摩へ向かったことや刀傷に効能があるという塩浸温泉で湯治を行い、霧島神宮を参拝したこと、谷川で釣りをしたこと、ピストルで鳥を撃ったことなど面白く過ごしていると書かれています。
国家が揺れ動く激動の時代に身を置いていた龍馬にとってお龍との鹿児島旅行は、久しぶりにゆっくりできた時間でした。
また、この手紙には龍馬らしいユーモアが見られ、旅行の中でも一番印象深かった「高千穂の天の逆鉾(さかほこ)」の絵を描いて詳細に伝えており、お龍と共に逆鉾を引き抜いてみたところ1m20cm~1m50cmくらいの大きさでお龍と二人で元通りに納めましたと書かれています。
お龍にとっても龍馬を保護してくれている薩摩藩内での旅行は思い出深いものとなったことでしょう。