坂本龍馬は北辰一刀流に剣術や長刀術を学び剣の腕もたつ人物でした。
寺田屋事件では高杉晋作からもらった小銃・スミス&ウェッソンⅡ型32口径を持っていたそうですが、襲われた際に捨てたようで実物は現存していません。
このように書くと坂本龍馬は、刀よりは小銃を愛用していたようですが、そんなことはありません。
近江屋で暗殺された際、やはりスミス&ウェッソンのⅠ1/2型を所持していたようですが、とっさに床の間のあった愛刀を手にしますが抜刀する間もなく、相手刃で額を斬り、龍馬は絶命しました。
龍馬が愛した陸奥守吉行
近江屋で襲われた時に相手刃を愛刀の鞘(さや)で受けたとされるのが、今回の主役となる「銘吉行」です。「陸奥守吉行」という名前の方が有名でしょうか。※写真はイメージです。
審神者の皆様ならお馴染みの打刀、刀剣乱舞では初期刀として選択可能な五振のうちの一振りですね。二尺二寸(約67~68cm)です。
通称・むっちゃん。
この陸奥守吉行は、坂本家に代々伝えられてきた刀とされ、実家を継いでいた兄の権平に頼んで譲り受けたものだとされています。
しかし、当時龍馬は土佐藩を脱藩して長崎を中心に活躍しており、脱藩が重罪とされていた時代。
脱藩者に気軽に接触することは大変難しく、尚且つ家宝ともいえる大切な刀を簡単に送ることもできませんでした。
そこでちょうど土佐藩主・山内容堂に面会に来ていた西郷隆盛に権平は陸奥守吉行を託し、西郷隆盛を通じて龍馬のもとへと届けられることになりました。
その喜びを龍馬は慶応3年6月24日付の権平に宛てた手紙の中に記しており、手紙には…
「そういえば先日西郷から吉行の刀を受け取り、京へいった時にも常に帯刀していました。京の刀剣家にも見せたところ、皆粟田口忠綱くらいに目利していました。この頃毛利荒次が京へきてこの刀を見て欲しがりましたが、私は兄から頂いたものですと自慢しました。」
龍馬が陸奥守吉行を大層自慢に思い、大切にしていたことが伝わってきます。
龍馬暗殺後の陸奥守吉行
坂本龍馬が暗殺された後、陸奥守吉行は北海道釧路市に移住した坂本家の子孫の方に伝えられていました。
しかし、そこで火災に遭い変形してしまいます。
研ぎ直されたことで元の刃紋は影を潜め、そりもなくなってしまいましたが、じーっと見ていると研ぎ直される前の刃紋もふわりと浮き出て見えるそうです。
また、暗殺された時に鞘(さや)ごと相手の刃を受けたと書きましたが、その時に鞘は割れ、刃が陸奥守の刀身にまで達していたと言われています。その傷も研ぎ直した時に消えてしまっているのでしょう。
この研ぎ直しによって吉行作の特徴である刃紋などが失われてしまったため、真贋(※本物かどうか)が判然としなかった陸奥守ですが、直刃の陰に別の刃紋が見えたことから再研究が行われ、その結果本物だということがわかりました。
現在、刀身は京都国立博物館に所蔵されましたが、常設展示はされていないようです。
また、高知県立坂本龍馬記念館では、京都国立博物館に刀身が所蔵されている吉行と刀工を同じくする陸奥守吉行が所蔵されていますが、こちらも常設展示はされていないようです。
しかし、刀剣をテーマとした企画展示や坂本龍馬をテーマとした展示で、時折姿を見せてくれるので今後の展示予定に期待したいです。