日本で初めて新婚旅行をしたと言われている坂本龍馬。そんな坂本龍馬の恋人や想い人といわれる女性は何人もいますが、龍馬の妻と言えばこの人・楢崎龍でしょう。
龍馬が寺田屋で遭難した際、入浴中であったにも関わらず袷一枚で飛び出し、龍馬に危険を知らせたという話はあまりにも有名な話です。このお龍の機転で龍馬は命拾いしました。
・楢崎龍はどんな女性だったのでしょうか….。
楢崎龍(ならさきりょう)
楢崎龍、通称・お龍は1841年7月23日に生まれました。京都の裕福な家庭に育ち、生け花や茶道・香道などを嗜む女性だったと言われています。
父の楢崎将作は青蓮院宮の侍医で勤王家でした。しかし、父が安政の大獄で捕えられ、1862年に病死してしまうと裕福だった家庭はたちまち困窮し、お龍の妹たちは島原の舞妓や大坂の女郎に売られてしまいました。
それを知ったお龍は懐に刃物を抱え、妹たちを取り返しに行ったということです。これはお龍の性格がよく表れているエピソードだと思います。
お龍は坂本龍馬が暗殺された後、各地の知人を頼り生活をしていたようですが、その先々であまりいい話が出てきません。
龍馬が各地を飛び回っていたせいか生前の龍馬とお龍のエピソードはあまりなく、新婚旅行に鹿児島を訪れたことや、龍馬によって寺田屋のお登勢に預けられていたことなど龍馬と共にある時のことしかわかりません。
龍馬死後のお龍
そこで龍馬の死後、お龍がどのように人生を歩んだかについて詳しく解説していきます。
1867年2月、龍馬は下関の伊藤助太夫の家を借り、ここを亀山社中の拠点にしました。この時がお龍にとって一番幸せな日々だったのかもしれません。
龍馬が下関にいる間、巌流島で花火をしたり、歌会に出席したりと楽しい時間を過ごしていたようです。9月に龍馬が下関に寄港した時が二人があった最後でした。
龍馬の死後しばらくは、寺田屋遭難の際に龍馬と一緒にいた三吉慎蔵がお龍の面倒を見ていたそうですが、1868年3月にお龍は亡き夫・坂本龍馬の実家へ未亡人として送り届けられます。
しかし、そこでの生活は長く続きませんでした。龍馬の姉である乙女と不仲だったためと言われていますが、後年、お龍本人が語ったところによると乙女はお龍に親切だったそうで、本当にお龍と仲が悪かったのは家督を継いだ兄・権平とその妻だったようです。
お龍は権平夫婦は龍馬に下る褒賞金欲しさに自分を追い出したと言っていたようです。その後、お龍は知人を頼り各地を転々とする生活を送ることになります。
坂本家を出たお龍は龍馬の生前の考えで、海援隊士の菅野覚兵衛と結婚した妹の起美を頼り、嫁ぎ先である安芸郡和食村の千屋家の世話になっていましたが、起美の夫である覚兵衛が海軍省へ出仕し、アメリカ留学をすることになったため1869年には土佐を離れています。
次に京都で世話になっていた寺田屋のお登勢を頼り、龍馬の墓のそばで庵を結んでいました。その後、京都にも居づらくなり、お龍は東京へと向かいました。
東京には勝海舟や西郷隆盛がいたため、その縁を頼ったようです。その後も元海援隊士の橋本久太夫や元薩摩藩士の吉井友実などを頼りますが、1874年神奈川宿の料亭・田中家を勝海舟に紹介してもらい2~3年間働いていました。
田中家のHPにはお龍にまつわるエピソードが多く掲載されています。
それによるとお龍は住み込みの仲居として働いており、月琴を奏でることができ、外国語にも堪能な女性だったと書かれています。
物おじしない真っ直ぐな性格で、特に外国からの客人に評判が良かったようです。
しかし、この田中家でも「頑固で使い辛かった」とも伝わっているようなので、お龍の物おじしない性格の捉え方が日本人と外国人で大きく違っていたのでしょうね。
再婚したお龍
1875年にお龍は西村松兵衛と再婚し、西村ツルと名前を変え横須賀で暮らしました。松兵衛と入籍後、母の貞を引取り、妹・光枝の子である松之助を養子に迎えましたが、1891年に二人は相次いで死亡。
一人になったお龍は退役軍人の工藤外太郎に保護され生活していましたが、1906年1月15日お龍は66歳で夫・坂本龍馬のもとへ旅立ちました。
お龍の墓は横須賀市大津の信楽寺にあります。墓碑には「贈正四位坂本龍馬之妻龍子之墓」と刻まれています。龍馬の眠る京都霊山護国神社にもお龍の骨は分けられています。
後にお龍は龍馬の死後、本当に親切にしてくれたのは西郷隆盛と勝海舟、そして寺田屋のお登勢だけだったと言っています。
海援隊士・安岡金馬の息子はお龍を「龍馬はぞっこん惚れ込んでいたが、海援隊の同志たちは嫌っていた。生意気で龍馬を傘に着て同志たちを下風に見たがっていた」といい、土佐藩士・佐佐木高行は「有名な美人だが賢婦といえるかどうかはわからない。善にも悪にもなるような女だ」と言っています。
それを龍馬は面白い女だと感じていたようなので、お龍にとっては龍馬が運命の人だったのでしょうね。