幕末に日本中を駆け巡り、尊王の志の下日本という国を変えようとした坂本龍馬。残念ながら彼は京都近江屋で暗殺され、歴史の舞台から下ろされることになるのですが、坂本家の子孫たちは今の日本でも立派に生きていらっしゃいます。
とは言うものの、坂本龍馬と妻のお龍の間には子供がなく、坂本龍馬の家督は姉・千鶴の子で、龍馬の甥の坂本直が受け継ぐことになりました。そのため「坂本龍馬・直系の子孫」とい人は存在しません。
今回は・家督について詳しく解説していきます。
坂本家の家督
坂本龍馬が生まれた土佐の郷士坂本家では父・八平亡き後龍馬の兄である権平が家督を相続しました。現在の坂本家当主の方はこの兄・権平の子孫の方だそうです。
では、坂本龍馬の家督はどうなっているのでしょうか….先にも書いたように龍馬とお龍の間に子供はいなかったため、家督は姉・千鶴の息子である直が相続しました。この直は海援隊に所属しており、高松太郎という方が馴染みがあるでしょうか。
高松太郎は明治4年(1871年)8月20日に朝廷から永世十五人扶持を給わせられ、坂本直と名前を改めました。東京府典事や宮内省雑掌、舎人などを歴任しましたが、キリスト教信者を理由に宮内省を免職になりました。
明治31年11月7日病気のため死去。
坂本龍馬家3代目は、2代目の直の次男・直衛が務めました。坂本直衛は大正6年(1917年)太平洋上で海難事故に遭い命を落としてしまったとのことです。
享年34歳。結婚したという記録がないため、おそらく生涯独身だったのではないかと推測されます。
3代目の直衛には子供がいなかったため、坂本龍馬家の4代目は2代目直の弟・直寛の息子である直道が名称相続しました。
直道は1897年父の直寛らと共に北海道へ移住しましたが、1911年に直寛が亡くなり、一時郷士坂本家を相続しました。その後1913年に直道が隠居するという形で義兄の彌太郎が郷士坂本家を相続し、直道は1941年(昭和16年)坂本龍馬家を再興します。
4代目の直道には、直臣と寿美子という二人の子供がいました。しかし、直臣は夭折し子供がなく、また寿美子にも子供がいなかったため、坂本龍馬家は現在断絶ということになります。
郷士坂本家は今でも受け継がれています。
若くして暗殺されてしまった坂本龍馬の血は、子供がいなかったために途絶えてしまっていますが、龍馬と血を同じくする家が今も続いていることはとても嬉しく思いますね。
名を受け継ぐということは、とても大変なことだと思いますが、これからも益々のご発展とご多幸をお祈りいたします。