歴史に名を残すような偉人には必ずと言っていいほど「都市伝説」があります。戦国時代の武将や聖徳太子にも様々な都市伝説がありますが、もちろん坂本龍馬にもあります。
坂本龍馬にまつわる都市伝説をご紹介しますが、信じるかどうかはあなた次第えです…..
坂本龍馬は生きていた…説
近江屋で中岡慎太郎と会談していたところを十津川藩士を名乗るものによって暗殺されてしまった坂本龍馬。
実は殺された坂本龍馬は影武者で本物の龍馬は、伊藤博文、板垣退助、岩倉具視に匿われていたと言うのです。
亀山社中に武器などを卸していたトーマス・グラバーによって、逃亡のための資金が用意されて海外へ逃亡していたという都市伝説です。
そして龍馬を暗殺から助けた人物がお札の肖像画として描かれており、当時の一万円札と五千円札が聖徳太子なのは、天駆ける天馬に乗って聖徳太子が現れたという伝説があり、「天」が空飛ぶ龍を表しており、龍馬にかけられているということなのです。
龍馬がお札の肖像画になっていないのは、よく坂本龍馬の写真として知られているのは、すべて影武者の写真であり、龍馬本人の写真は残っておらず肖像画にできなかったためだそうです……。
坂本龍馬はフリーメイソンだった…説
坂本龍馬と貿易をしていたことで知られるトーマス・グラバー。彼の邸宅だった場所は、グラバー園として今では長崎の観光名所になっています。
そのグラバー園の庭にコンパスと定規を組み合わせたフリーメイソンのマークが刻まれた石柱があります。
そのため、トーマス・グラバーはフリーメイソンであり、坂本龍馬もフリーメイソンであるというのです。
秘密裏に龍馬が海外渡航しており、その時に海外のロッジで加入したという都市伝説もあります。
しかし、グラバーの邸宅の庭にあるフリーメイソンの石柱は元々あったものではなく、1966年(昭和41年)にロッジにあったものを寄贈され移設したものなので、龍馬がグラバーと貿易していた当時は、この石柱は無かったということになりますね。
キリンビールの麒麟(キリン)のマークは坂本龍馬…説
グラバーが経営していたグラバー商会は1870年(明治3年)資金回収などが滞り、破産してしまいましたが、その後もグラバーは高島炭鉱の実質的な経営者として日本に残りました。
1881年(明治14年)高島炭鉱は、三菱の岩崎弥太郎が買収しグラバーは所長として経営にあたります。
1885年以降は三菱財閥の相談役としても活躍しました。その時経営危機だったスプリング・バレー・ブルワリーの再建を岩崎に勧めキリンビールの基礎を作りました。
1888年(明治21年)ラベルのデザインは、荘田平五郎の発案で霊獣・麒麟に決まり、キリンビールが発売されます。
そしてその翌年にはグラバーによって、ラベルのデザインは変更され、今のラベルの原型となりました。
太宰府天満宮にある麒麟の像を大変気に入っていて、譲ってほしいと言い続けていたみたいですから、それも龍馬関係なのでしょうか?
龍馬暗殺の黒幕はトーマス・グラバーだった…説
坂本龍馬暗殺の犯人については、函館戦争で捕縛された元京都見廻り組の今井信郎が、佐佐木只三郎とその部下で行ったと自白していることから、京都見廻り組が実行したという説が通説となっています。
京都の霊山歴史館には、桂早之助が龍馬を斬ったという刀も展示されていますね。
しかし、その龍馬暗殺を裏で操っていたのが、長崎のイギリス人武器商人であるトーマス・グラバーだったという説があります。
イギリスのジャーディン・マセソン商会の代理人としてグラバー商会を設立し経営していたグラバー。
そのジャーディン・マセソン商会というのが、裏で操っていたのではないかということです。
明治維新については、初めからグラバーと薩摩藩、長州藩でシナリオが作られており、それを遂行するために坂本龍馬を利用したという都市伝説もあります。
そして、役目を終えた坂本龍馬は暗殺されたというのです。
いかがだったでしょうか。
坂本龍馬に関する都市伝説は沢山ありますが、ほとんどがグラバーやフリーメイソンに関するものです。
都市伝説を調べていて私が思ったのは、明治維新はグラバーなくしては起こりえなかったのではないかと思えてなりません。
明治維新を仕掛けたのは、グラバーとその背後にあるジャーディン・マセソン商会などで、フリーメイソンであったと言われているペリーがあの時に来航したのも計画の内だったのではないでしょうか。
そして、龍馬を利用していたグラバーが龍馬暗殺後も龍馬を偲んでいたのではないか、龍馬暗殺のシナリオを後悔していたのでは……ということです。
しかし、都市伝説は今となっては、新しい資料が発見されない限り、実しやかに語られるだけです。
それをもとに本当はどうだったのか、こうだったらいいなと歴史の裏に想いを馳せるのが一番いいのかもしれませんね。