海援隊と坂本龍馬
新政府綱領八策の中に西郷隆盛の名前はありましたが、そこに坂本龍馬の名前はなく、不思議に思った西郷の問いに対して龍馬は「わしは世界の海援隊でもやりますか」と言って笑っていたといいます。 海援隊というのは、坂本龍馬が中心になって結成した組織で私…
新政府綱領八策の中に西郷隆盛の名前はありましたが、そこに坂本龍馬の名前はなく、不思議に思った西郷の問いに対して龍馬は「わしは世界の海援隊でもやりますか」と言って笑っていたといいます。 海援隊というのは、坂本龍馬が中心になって結成した組織で私…
265年間という長い間続いた江戸幕府の15代将軍・徳川慶喜が天皇へと政権を返上し、後に天皇から任ぜられた征夷大将軍職を辞職した日本の歴史の中でも大きなイベントとされているのが大政奉還です。 征夷大将軍というのは元々、奈良時代頃に蝦夷討伐のた…
土佐藩を脱藩した坂本龍馬は、元福井藩主で幕府の政治総裁職にあった松平春嶽に謁見し、当時の幕府軍艦奉行並の職にあった勝海舟への紹介状を受け、勝海舟の屋敷を訪問したことで弟子となります。 「脱藩」というのは、親族に至るまで処罰されることもあるほ…
1867年6月9日、坂本龍馬と後藤象二郎は長崎から兵庫へと向かう船に乗っていました。 京都では15代将軍・徳川慶喜、伊達宗城、島津久光、松平春嶽、山内容堂による四候会議が開かれており、そこに参加していた山内容堂に後藤象二郎が呼ばれていたから…