龍馬と関わった人物②
後藤象二郎 後藤象二郎(ごとうしょうじろう:1838年~1897年)は、馬廻格の土佐藩士・後藤正晴の長男として生まれ、幼くして父を亡くしてからは義理の叔父にあたる吉田東洋に養育されました。 東洋が参勤交代の際、酒宴の席で旗本を殴る事件を起こ…
後藤象二郎 後藤象二郎(ごとうしょうじろう:1838年~1897年)は、馬廻格の土佐藩士・後藤正晴の長男として生まれ、幼くして父を亡くしてからは義理の叔父にあたる吉田東洋に養育されました。 東洋が参勤交代の際、酒宴の席で旗本を殴る事件を起こ…
1867年に大政奉還によって政権を天皇へと返上し、征夷大将軍職を辞職、王政復古の大号令をもって征夷大将軍職は正式に廃止されました。 この大政奉還当時の将軍は江戸幕府の15代将軍・徳川慶喜でした。 先代の徳川家茂と先々代の徳川家定の後継を争っ…
坂本龍馬の盟友であり、共に近江屋で遭難し命を落とした中岡慎太郎。 坂本龍馬が有名過ぎるためか、あまり大々的に取り上げられることはありませんが、龍馬の功績と捉えられることが多い薩長同盟も中岡慎太郎がいたからこそ成ったと言っても過言ではありませ…
1866年に徳川幕府を武力倒幕するため、薩摩藩と長州藩の間で締結された軍事同盟が薩長同盟です。 中岡慎太郎が長州藩の桂小五郎を説得し、薩摩藩の西郷隆盛を坂本龍馬が説得した上で亀山社中が両者の問題を相互支援する形で取り持ち形になりました。 そ…
岩崎弥太郎(1835年1月9日~1885年2月7日)は、土佐藩の地下浪人の家に長男として生まれ、家は貧しかったものの勉強熱心だった弥太郎は12歳の時に儒学者・小牧米山に弟子入り。 14~15歳の頃には詩才を発揮し、当時の土佐藩主・山内豊照に…
倒幕を目論む尊攘派の志士にとって一番身近にいた敵というのが、当時京都の警備にあたっていた京都所司代と京都町奉行所です。 しかし、倒幕を望む尊攘派の志士達は次々に上洛し、天皇の為と尊攘運動を行っていたことから京都の治安は乱れ果てていました。…
ジョン万次郎 ジョン万次郎(1827年~1898年)は、1827年に現在の高知県土佐清水市中浜で半農半漁を生業とする貧しい漁師の家に次男として生まれました。 万次郎が9歳の時には父が亡くなり、母と兄は病弱であったことから幼い万次郎が家族を支…
幕末の日本で幕府の人間でありながら、坂本龍馬や高杉晋作、桂小五郎、西郷隆盛と交流を持ち、尊攘派の志士達にも一目置かれていた人物が「勝海舟」です。 勝海舟は渡米経験があり、これは1860年に幕府からの遣米使として日米和親条約の批准書交換のため…
時は江戸時代末期、幕末と呼ばれる激動の時代に活躍した二大勢力(ざっくり分類)がありました。 一つは幕府を倒し天皇中心の新しい政治体制をつくろうとしていた倒幕派、そしてもう一つは幕府を守ろうとしていた幕府派です。 この二つの勢力は当然のように…