3分でわかる坂本龍馬

坂本龍馬の手紙

坂本龍馬の手紙坂本龍馬の手紙は、今現在139通確認されています。最近では、テレビ番組の中で暗殺直前に書いたと思われる手紙の草稿が見つかり話題になりましたね。
手紙が多く残っている坂本龍馬ですが一番多いのは姉の坂本乙女宛で、その次が下関の豪商・伊藤助太夫と土佐藩士・佐佐木高行。桂小五郎なども多く手紙を受け取っています。
 
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龍馬が姉に宛てた手紙

中でも有名なのは姉・乙女に送られた手紙の中の「今一度日本をせんたくいたし申し候」の手紙とお龍と共に刀傷を癒すため鹿児島へ訪れた日本初の新婚旅行といわれる手紙、そして通称「エヘンの手紙」と呼ばれる勝海舟の門人となり可愛がってもらっているという内容の手紙でしょうか?

その他には兄・権平に形見分けをねだる手紙も有名ですね。

今回は坂本龍馬の手紙についてです。先に書いた有名な手紙以外にも寺田屋で襲撃をうけた時の手紙などもあるのですが、すべてを紹介することはできないのでいくつかの手紙を紹介したいと思います。

慶応2年(1866年)12月4日 姉・乙女宛

坂本龍馬の手紙1

出典;http://www.kirishima-hotel.jp/history/

この手紙は坂本龍馬が刀傷を癒すために訪れた霧島から姉・坂本乙女に宛てた手紙です。この時、妻のお龍も同行していて日本初の新婚旅行といわれています。

谷川で魚釣りをしたことや、鉄砲で鳥を打ったことなどが書かれています。その他にも霧島山に登り天逆鉾を見たことも書かれています。

他にもお龍の家族を預かったなども書かれていますが、イラスト入りの手紙というのがいかにも龍馬らしいお茶目な手紙ですね。レプリカだそうが硫黄谷温泉の霧島ホテルで見ることができます。京都国立博物館に所蔵されています。

文久3年(1863年)6月29日 姉・乙女宛

坂本龍馬の手紙2
出典;https://www.edo-tokyo-museum.or.jp

こちらの手紙は一部ですが坂本龍馬が姉・乙女に宛てた「日本を今一度せんたくいたし申し候」の手紙です。

写真の部分には次のように書いてあります。

姦吏と一事に軍いたし打殺、日本を今一度せんたくいたし申候事にいたすべくとの神願にて候。此思付を大藩にもすこむる同意して、使者を内々下さる事両度。然に龍馬すこしもつかえをもとめず。実に天下に人ぶつのなき事これを以てしるべく、なげくべし。

(現代語)

悪辣な役人と戦をして打ち倒し、日本を今一度せんたくしたいと思っています。この考えに大きな藩もすこぶる同意してくださり、使者を内々に送ってくれることも度々ありました。しかし、私には仕官するつもりは少しもありません。私に声がかかるなど天下に人物がいないことを知り、嘆かわしいことです。

このような内容になっています。こちらの手紙も京都国立博物館に所蔵されており、同博物館の所蔵品データベースから閲覧することもできます。

次の手紙は番外編です。こちらの手紙は元々書いたのは木戸孝允(桂小五郎)です。

その手紙の裏に龍馬が朱で裏書したもので、1866年正月に交わされた薩長同盟の内容をまとめたものです。木戸孝允が確認を求め、坂本龍馬が内容の確認をし朱書きしたものです。

当時仲が悪かったといわれている薩摩と長州を結び付けた大切な書簡になります。

坂本龍馬の手紙3

出典;http://www.kunaicho.go.jp/culture/shoryobu/syuzou-z08.html

この手紙は宮内庁に保管されています。そのため本物の手紙をみることはできませんが複製されたものが高知県の高知県立坂本龍馬記念館で見ることができます。

いかがでしょうか?

今回は紹介しきれませんでしたが、今なら手紙ではなくLINEやメールで済ませてしまうようなことも、当然のことですが、当時の人々は手紙でやり取りしていたのですね。

そのおかげで私たちは当時の坂本龍馬の考え方を知ることができ、その文面や文字から人柄を想像することができます。

なんでも便利になったこの時代に手紙というのは少し不便な気がしますが、時には手書きの文字で伝えるのもいいかもしれませんね。
 

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