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坂本龍馬のゆかりの地・観光地

坂本龍馬のゆかりの地・観光名所幕末と言えば、より良い日本を造ろうとした多くの志士(しし)達がいますが、中でも忘れてはいけないのが坂本龍馬ですよね。
以前、NHKの大河ドラマ龍馬伝が放送され、主役の龍馬を福山雅治さんが演じて大変話題となりました。
普段は大河を見なくても、歴史に興味がなくても福山さんが演じる龍馬を見たくて、つい見てしまったという女性も多いのではないでしょうか?
今回、幕末の混乱した世の中を渡り、志半ばでこの世を去った坂本龍馬を巡る旅にご案内いたしましょう。龍馬のゆかりの地は、様々な所にあるので、各地にある龍馬の痕跡をいくつか紹介したいと思います。
 
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龍馬ゆかりの地・高知編

高知県立坂本龍馬記念館 高知市浦戸830

高知県は土佐藩士であった坂本龍馬の故郷です。

そのためゆかりの地も多くありますが、まず紹介したいのは坂本龍馬記念館。こちらには坂本龍馬が所蔵していた拳銃や薩長同盟の裏書など坂本龍馬に関するものが多く展示されています。

その歴史的価値から多くのモノは複製になりますが、姉・乙女にあてた龍馬の書簡など本物を見ることができます。

坂本龍馬生誕の地 高知市上町1丁目上町病院前

高知県高知市上町1丁目上町病院前に、坂本龍馬生誕の地の碑が建っています。

龍馬は1835年11月15日にここで誕生しました。毎年11月15日龍馬の生まれた日であり、命日でもあるこの日に龍馬生誕祭が行われています。

坂本龍馬誕生の地

坂本龍馬銅像 高知市浦戸 桂浜公園内

高知市浦戸の桂浜公園内に建っている坂本龍馬の像です。

昭和3年5月27日に除幕式が行われました。

像の高さは5.3m台座も含めると13.5mもあります。

毎年龍馬の誕生日11月15日を含む約2ヵ月間、龍馬像の横に展望台が設置され、銅像の龍馬と同じ目線で太平洋を眺めることができます。

坂本龍馬銅像桂浜

龍馬の生まれたまち記念館 高知市上町2-6-33

こちらは龍馬が生まれた高知市上町にある記念館です。

龍馬が土佐藩を脱藩するまでの少年期・青年期を映像や音声で紹介しています。またボランティアの観光ガイドの方に館内を案内してもらうこともできます。

龍馬が生まれた上町周辺には、龍馬のゆかりの地も多いので大人700円でガイドさんが案内してくれる「龍馬誕生コース」がオススメです。電話かホームページから予約することができます。

田中良助旧邸資料館 高知市柴巻381

龍馬が良く訪れていたという田中良助邸。

田中家は、現在の高知市柴巻にあった坂本家の領地を管理していたとのこと。この建物は龍馬が生きていた当時の建物で、唯一現存しているものです。

この家の近くには八畳岩と呼ばれる巨大な岩がありここから海を眺めながら将来について語り合ったり、田中邸で良助と将棋をさしたりしていたようです。

資料館は毎週金曜日~日曜日なので、訪れる際は注意してください。

和霊神社 高知市神田1540

坂本家の本家である才谷屋の先祖が建立した神社です。

青年の坂本龍馬が脱藩を決意し、ここで水杯をして沢村惣之丞と共に伊予長浜を目指したということです。ここは坂本家の守護神でもあり、脱藩する前にはここにお参りに来たのだそうです。

近藤長次郎邸跡 高知市上町2-7

近藤長次郎邸跡近藤長次郎は龍馬とは家が近かったこともあり、少年時代から龍馬と交流があったそうです。

長次郎は河田小龍の門下生で江戸へ遊学に行き、その後亀山社中に入社、龍馬の手足となって働いたそうです。

現在の碑が建っているところは、饅頭屋をしていた長次郎の実家より西側に建っているとのこと。

旧立川番所書院 高知県長岡郡大豊町立川下名28

旧立川番書院入園料は大人210円/小学生~高校生100円

立川番所は江戸時代、参勤交代のとき土佐最後の宿所であり、また国境警備の要でもありました。

この番所の上流500メートルほど行ったところには、産物や商品など荷物の集散地あったことから荷宿と呼ばれるところがあり、このあたりが水戸浪士と龍馬が会見したところだと言われています。

坂本龍馬先生先塋の地・才谷龍馬公園 高知県南国市才谷

龍馬の祖先である坂本家の初代~3代までが暮らした場所で、今は公園として整備されています。4代以降の坂本家は高知市内へと移り住み、「才谷屋」として商売を始めました。しかし、7代目の時に武士の身分を買いました。

坂本家墓所 高知市山手町70

ここには坂本家の墓所があります。

郷士初代夫妻や2代目八蔵直澄の他、龍馬の両親や姉・乙女、兄の権平夫妻の墓などがあります。龍馬が通った塾の師・楠山庄助夫妻の墓もこの墓地公園内にあります。

他にも須崎砲台場の跡地や土佐勤王党のリーダーであった武市瑞山ゆかりの地など、沢山の志士を巡ることができますが、今回はとりあえず10箇所をご紹介しました。
 

龍馬ゆかりの地・京都編

そして舞台は京都へ移ります。

京都にももちろん坂本龍馬ゆかりの地は沢山あります。京都は羨ましいくらいに様々な歴史の舞台となっていますね。毎日史跡を巡り歩き、悠久の時に想いを馳せたいものです。では京都にある龍馬ゆかりの地を巡っていきましょう。

 

京都霊山護国神社 京都府京都市東山区清閑寺霊山町1

京都霊山護国神社年中無休、大人300円で見学することができます。

こちらの神社は1868年に明治天皇の命で明治維新の際、国のために奔走し命を落とした幕末の志士の霊を祭るために創建されました。

こちらにある「旧霊山官修墳墓」には坂本龍馬や中岡慎太郎、木戸孝允など1043名の霊が祀られています。

1867年に近江屋で暗殺された坂本龍馬と、中岡慎太郎の墓前には二人の銅像建てられています。

霊山歴史館 京都市東山区清閑寺霊山町1

霊山護国神社の向かいにある霊山歴史館は、幕末の激動の時代を知るための資料が沢山展示されています。

坂本龍馬をはじめとする中岡慎太郎・西郷隆盛・木戸孝允・高杉晋作など倒幕派の志士たちの遺品や敵対していた幕府側の新撰組や徳川将軍・徳川慶喜、松平容保の資料も多く展示されています。

中には近江屋で坂本龍馬暗殺のときに使用されたという刀も展示されています。

寺田屋 京都市伏見区南浜町263

寺田屋京都で坂本龍馬ゆかりの地といえば、その代表格の一つは間違いなくココ、寺田屋でしょう。

龍馬が京都に来て出逢い、後に妻となったお龍が襲撃してきた伏見奉行の捕吏から、龍馬を逃がしたというのはあまりにも有名な話です。また、1862年には「寺田屋騒動」という薩摩藩の内紛が起きた場所でもあります。

ここには龍馬の写真なども展示されており、当時のものではないものの幕末の雰囲気を味わうことが出来る建物も魅力。見学料は大人400円。予約すれば宿泊することも可能です。

坂本龍馬・中岡慎太郎遭難之地 京都市中京区河原町通蛸薬師下ル塩谷町

ここはかつて醤油商・近江屋があった場所です。

近江屋は土佐藩御用達の店で、そこに匿われていた坂本龍馬と中岡慎太郎が暗殺された地でもあります。1867年11月15日のことでした。

暗殺者には諸説ありますが、京都見廻組という説が有力です。霊山歴史館には龍馬を斬ったとされる刀があり、持ち主は、京都見廻組の桂早之助だそうです。現在は碑が建っているだけですが、龍馬最期の地です。

中岡慎太郎寓居之地碑 京都市中京区河原町四条上ル鍋屋町

龍馬の盟友で近江屋で一緒に暗殺されてしまった中岡慎太郎が脱藩後に身を寄せていた土佐藩御用達書林・菊屋の跡です。

龍馬の陰になってしまい、あまり目立つことがない中岡慎太郎ですが、龍馬の海援隊と対に成る陸援隊の隊長を務めました。

土佐藩邸跡碑 京都市中京区木屋町通蛸薬師下ル下樵木町

ここには土佐藩邸がありました。

近くに土佐稲荷がありますが、この稲荷は元々土佐藩邸内にあったもので、境内には小さいですが坂本龍馬の像が建っています。土佐藩邸は脱藩を赦免された龍馬が7日間謹慎していた場所です。

池田屋騒動之址碑 京都市中京区三条通木屋町西入中島町

池田屋騒動之址碑湯浅喜右衛門と名をかえて馬具商を営んでいた勤王の志士・古高俊太郎が、新撰組に捕縛されクーデター計画が発覚。

それを阻止するべく1864年6月5日新撰組が志士たちが集まり密談していた寺田屋を急襲。突入した新撰組は局長・近藤勇、一番隊隊長・沖田総司ら4人。

志士たちの多数は捕縛され、9人の志士が命を落としました。この時、龍馬と仲が良かった望月亀弥太も犠牲になりました。

武市瑞山先生寓居之跡碑 京都市中京区木屋町姉小路東側上大阪町

武市瑞山は土佐勤王党を結成した人物で1862年に前土佐藩主・山内容堂に従い上洛。応接役として各藩の藩士と交流しました。

翌年1863年には京都留守役となりますが吉田東洋が暗殺され、それが勤王党の仕業とされたことから党への弾圧が厳しくなりました。

1864年岡田以蔵が捕縛され土佐へ送還されると、拷問に耐えかねて次々と自白。ついに瑞山は土佐へと呼び戻され切腹させられてしまいました。

この時、更なる自白を恐れた瑞山の実弟・田内恵吉は拷問に耐えかねて服毒自殺、島村衛吉は拷問死、岡田以蔵・久松喜代馬・村田忠三郎・岡本次郎の自白した4人は斬首となり獄外の同志や協力者は無事でした。
 
いかがでしたか?坂本龍馬が生まれ育った高知県と幕末の動乱の舞台となり龍馬最期の地となった京都の龍馬ゆかりの地を紹介しました。

それでもこれはほんの一部です。

土佐の太平洋を見て龍馬は何を思い、未来に何を描いたのか。京都で幕府側の人間と対峙しながら何を見て何を考えていたのか。今となっては残された資料を読み解き、探ることしか私たちにはできません。

龍馬が見ていた景色とは違っているかもしれませんが、それでもそこに彼がいたのだという思いを感じながら旅をしてみるのはいかがでしょうか?
 

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